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2011/09/25
早乙女太一さん
昨日、仕事の関係で、とある舞台を観た。
出演していた早乙女太一さんの二十歳の誕生日だった。
二十歳にして、あの匂い立つ色気と
キレのある所作と見事な舞台映え…。
驚愕だ。
自分が二十歳の頃は、まだ鼻水を垂らしていた。
ズボンのチャックも開いていた。
今、彼が身につけた表のものに光が当たっている。
それらを身につける過程の彼の陰の部分までを理解しようとする人は少ない。
相当な芸の訓練をしたのはもちろん、
相当な私生活があったのだろう…。
想像すると、胸が締め付けられる。
最近、芸の道に生きる人へ、または、さまざまな芸術家へ、
一般人のような生き方を求める「無教養な声」が
高まりつつあることを危惧している。
それらは、いわば、その職業への否定に近い。
職には、それにまつわる業があると書いて「職業」。
職業は、生き方なのだ。
時代が変わろうとも、愛され、受け継がれてきたクラシック音楽、絵画、彫刻…etc。
学校でも教科書でちゃんと教えられた。
「それらを創り出した、破天荒な制作者には、
彼らの普通ではない生き方を見守り、育てた理解者が必ずいる」と。
人の心を動かせるのは、
普通の人には見えない角度から物事を見せたり、
考え方がひっくり変えるような、圧倒的な表現だ。
皆と同じように生きていては、それは生み出せない。
人々が日常を忘れ、その時間に陶酔できるのは、
自分ができないことを、
その舞台に、その音楽に、その絵画に投影しているからだ。
早乙女太一さんがこれから偏狭な倫理観の人々に求められるであろう
普通の人生を送らないことを切に期待する。
そして、普通ではない生き方で得た芸で
これからも観ている我々を違う日常へ連れて行って欲しい。
素晴らしい表現には、必ず陰の部分がある。
それらも含めて賞賛する想像力を失くさずに生きて行きたい。
いろんな生き方を受け入れられる
心の広さ、自由さを持っていたい。
いい広告表現をつくるために。