ブログ 2023/12/25

涙腺崩壊の五木ひろしXmasディナーショー

線虫N-NOSEでお仕事をした
五木ひろしさんの
Xmasディナーショーへ
招待して頂きました。

仕事上の役得的なことは
書かないようにしているのですが、
舞台やショーを観て、
人生で一番感動した経験だったので、
記録として残すことにしました。


Xmasディナーショーですから、
Xmasソングで始まるのだろうと
予想はしていましたが、
そのオープニング。

大スクリーンに
坂本龍一の遺影が現れ、
「戦場のメリークリスマス」
をバンドが生演奏。
曲が終わる頃に、
五木さんが登場し、
胸に手を当て、
その遺影に向かって
お辞儀をしました。
 
その後、今年96歳で亡くなった
トニー・ベネットへの思いを語りながら、
国内外の定番のXmasソングを
2曲歌いました。

今、
世界では6つの戦争が起きています。
内戦や紛争を含むと、
世界196カ国の中、
40カ国以上が争いの中にいます。
 
「戦場のメリークリスマス」の後に
温かい気持ちになる
クリスマスソングを聴き、
平和の有り難さ、
今日生きていられること、
ディナーショーという場所にいられる幸せ、
その感動が胸に迫ってきました。

五木さんが次に歌ったのが、
KANの「愛は勝つ」。 
そして、
大橋純子の「シルエットロマンス」。
さらに、もんた&ブラザーズの
「ダンシングオールナイト」。
今年亡くなった歌手を追悼しているのです。
 
歌の合間のバンド演奏中や
歌い終わると、
その人たちの遺影に向かって、
五木さんが胸に手を当て、
心を込めてお辞儀をされる姿を見て、
涙腺が崩壊しかけていたところに、
谷村新司の遺影が出てきて、
「昴-すばる-」を五木ビブラ〜トで
(勝手に名付け、すみません)熱唱。

完全に涙腺崩壊。
昴の歌詞にもありますが、
何も見えなくなりました。

それにしても、
ショーが始まってしばらくの間、
まだ1曲も自分の歌を歌っていない。 
なのに、すでに、この満足度。

もしかして、
自分の歌は歌わないディナーショー
なのかと思っていたら、
いきなり五木さん最大のヒット曲
「おまえとふたり」を歌い出し、
キターッ!と感激していたら、
ステージから降りて、2曲目は、
会場中央に設けられた
出島のようなステージに移動。
私が一番好きな歌
「倖せさがして」を歌い出しました。
 
運良く、私の席は出島のすぐ横で、
五木さんの生歌を聴きながら、 
苦しかった自分の学生時代のこと、
五木さんの大ファンだった
亡き伯母と亡き父のこと、
バイトを辞めて社会人になった後も
ずっと交流があった
スナックの亡き英子ママのことが
自然と思い出されて、
また涙腺崩壊。

このまま永遠に聴いていたかった
「倖せさがして」が終わり、
五木さんが舞台の上でトークを始めました。
 
すると、
♪は〜じめま〜して 線虫です♪
とCMの曲を口ずさんでくれて、
 
「線虫N-NOSEのCMの総責任者が、
 大学時代、成績が悪かったのに、
 この歌の歌詞をそのまま英訳して、
 レポートで提出したら、
 最高点を取ったらしいんですよ」
 
と、CM撮影の1週間前に
ご挨拶に伺った事務所で話した
私の学生時代のエピソードに
触れてくれました。
なんという幸せ…

ブログ 2023/12/16

紅白歌合戦50回連続出場 五木ひろしさんが独唱する線虫N-NOSEの歌

生涯独り身だった私の伯母が
「この人の歌には艶がある」と
唯一絶賛していたのが、五木さんでした。

また、私の亡き父は歌が上手く、
五木さんの曲をカーステレオで聞いては、
カラオケで歌っていました。  

そして、家業が傾いて
苦学生になった私は、
生活費を稼ぐために、
夜は女性が接客をするスナックで
バーテンのアルバイトをしており、
時々、お客さんの要請で歌っていました。

ホステスさんと同じく、
指名料と歌唱料が店に入るからと
ママからは「積極的に歌ってね」と言われて、
渋々歌っていました。

子供の頃にリピートで聞かされていたおかげで、
五木さんの歌は空でも歌えるようになっていて、
「若いのに、そんな歌をよく知ってるな」と
お客さんに褒められました。
歌う曲は、五木さんを筆頭に、
北島三郎さん、鳥羽一郎さんでした。

ある時、大学の英語の授業で、
「英語で恋愛の詩を書く」課題が出ました。
私は、五木さんの曲で一番好きな
「倖せさがして」をそのまま訳して提出。 
女性のカサネイブ先生から
「感動したわ、素晴らしい!」とコメント付きで、
一番評価の良い「S」をもらいました。 
当時は胸が痛みましたが、
今となっては良い想い出です。

自分の中ではそれくらい、
五木さんとの縁があり、
今回のCM企画への出演を快諾して頂いた時には、
本当にうれしかった!

企画説明で五木さんの事務所で
ご本人に対面した時は、
「伯母さん、親父が生きていたら、
 さぞかし喜んでくれただろうな…」と
感慨深いものがありました。

五木さんは、芸名を4回変えるなど、
売れるまでは大変な苦労をされました。 
山口洋子さん作詞の名詞だけを連ねる画期的な名曲
「よこはま・たそがれ」が大ヒットして、
スターの階段を駆け上がります。
そして、紅白歌合戦には、
前人未到の50回連続で出場されています。

見方を変えると、
父親としての五木さんは、
50年間、大晦日には、
家にいなかったということです。  

さらに、その昔、
このCMの制作プロデューサーの父上が
祐天寺で床屋をされていた時に、
まだ売れていない頃の五木さんの髪を
カットしていたという新たな縁も見つかりました。  
  
五木さんの曲を愛聴していた親の息子が企画をし、
五木さんの長髪を切っていた親の息子が制作をしたのです。 

点は、いつか線になる。
いろんな縁に感謝する仕事でした。

ブログ 2023/12/02

lHIの企業CMで、日本初のテレビCMを企画制作!

IHI(旧・石川島播磨重工業)が
創業170年を迎えて、新企業CMをオンエア開始。 
   
日本初、
サイモン&ガーファンクルの不朽の名曲
「Bridge over troubled water(明日に架ける橋)」を
CMで使えました。
      
1970年の発表から53年間、
一度もCM使用許諾が下りなかった曲。
多くの企業、広告制作者が、
問い合わせをしては、即、断られ続けてきたので、
「この曲は絶対に使えないのだ」と
広告業界全体で諦めていたと思います。
私だけでも、
20数年間で6〜7回は問い合わせました。
    
今回、企画をしている時に、ふと、
「今なら許可が下りそう!」と予感がしたのです。
それは、確信に近い予感でした。
     
交渉にあたってくれた音楽プロデューサーが
「もしかしたら許諾が下りるかも」と
興奮した口調からの数週間後に、
「本当に許諾が下りました!」との決定の時には、
狂喜乱舞の様でした。 
  
それを聴いた私も、
一人阿波踊り、一人よさこい祭り、
一人浅草サンバカーニバルで、
一日中、ずっと踊っていました。  
   
鎖国していた江戸時代に
突如、黒船がやって来て、
西欧列強に対抗すべく
蒸気艦の造船から始まったIHI。
時代の声、社会の声に応えて、
どんどんと主力事業を変えて、拡張し続けて、
今は、宇宙ロケットの効率的な発射と運用、
CO2を減らす高性能の大型航空エンジン、
CO2の排出ゼロのアンモニア燃料発電など、
次の時代のスタンダードを次々とつくっています。
 
それは、170年間の技術と叡智の伝承があり、
それぞれの時代の技術者が、
毎日毎日、1歩1歩、技術を進化発展させてきたことの証です。  
 
なぜ今、亀が歩くだけの企画を見た
ポール・サイモンがOKしてくれたのか。
今のところ、明確な回答はなく。
しかし、きっと、
彼の中に明確な理由はあるはずです。 
   
いずれにせよ、
「日本初」に携われたことは、
とても有り難いことです。
    
企画に命を吹き込んでくれた制作陣に感謝。

ブログ 2023/11/17

17(ジュウナナ)は14年目へ

2010年11月17日に
創業した「株式会社17」は、
おかげさまで、
本日から14年目となります。
 
1つの仕事もないまま創業して、
4ヶ月目には東日本大震災が起こり、
すべての広告制作が止まりました。
テレビCMは、ACだらけになりました。
弊社も大打撃を受けました。
   
その頃、義理の父が亡くなり、
通夜の寝ずの番をしている時に、
普段はほとんど会話をしない
外科医の義弟が話しかけてきました。 

「長時間の手術が終わって帰宅して、
 テレビをつけてボーッと見たり、
 笑っていた時間が
 いかに自分の生活の中で
 大切だったかが、わかりました。
 ACの正論ばかりのCMだけを見せられるていると、
 息が詰まりそうになります…
 お兄さん、
 テレビにはCMが必要だったんですね。
 おもしろいCMをつくってくださいね」 
  
「それ、日本中の企業に聞かせてやってよ!」
と言いたかったのですが、
「わかった。おもしろいCMしかつくらないよ」
と答えました。 
 
広告は企業のもの。
しかし、世の中に出たら、
社会の一部にもなります。
だから、
広告は商業芸術であるべきです。 

生活の中に広告がある幸せをかみしめて、   
偉大な師匠、先輩たちから教えられたことを
これからも実践していきます。
 
何よりも、広告の企画制作の仕事は
楽しくて仕方ありません。

これからも17を、
よろしくお願い申し上げます。