ブログ 2023/10/30

1点に泣き、1点に笑う

得点が1点、2点、3点、4点だから、
野球には「1点に泣く」というフレーズがあります。
好投手相手で点を取れなかった時、
乱打戦になって競り負けた時などに使われます。
 
ラグビーで、このフレーズが使われることはありません。    
ラグビーの得点は2点、3点、5点、7点で、
ゴールキックの2点はトライの5点とセットのため、
その計7点となります。
1点差ゲームになりにくい得点構造なのです。
 
ところがである。
今回のW杯で優勝した南アフリカは、
ベスト8(対フランス)、準決勝(対イギリス)、
決勝(対オールブラックス)の3試合を、
すべて1点差で勝ちました。
 
フランスは開催国で、悲願の初優勝がかかっており、
フランス国内のテレビ視聴率が60%を超え、
他国が圧倒されるほどの国民からの後押しがありました。
    
イングランドは前回準優勝でありながら、
大会前にエディー・ジョーンズHCが解任される危機的状況から、
伝統の戦い方「これぞ英国ラグビー」の徹底で復調。
北半球唯一のベスト4に残り、
いつもは犬猿の仲のフランス国民も味方についていました。
   
オールブラックスは「史上最弱」との前評判を覆して、
大会中に毎試合ごと、強度と完成度が高まっていき、 
予選で南アを倒した世界1位のアイルランドを僅差で破りました。    
28年前の決勝で南アに敗れており、
その雪辱を果たしそうな勢いがありました。
         
物語性が強いのは南アの対戦チームであって、
良くできた脚本なら、
1点差で勝つドラマを引き寄せるのは対戦チームです。
しかし、南アは滅多に起こらない1点差ゲームを
3試合続けて自分たちのものにしました。   
ドラマを超えたドラマがありました。
        
あのプレーがイエローカードでなかったら…
あのキックが決まっていれば…
あのトライが認められていたら…
敗れた選手たち、ファンたちが心底悔やむ
いくつもの「たられば」…
 
南アにはそれがありませんでした。
1点に笑いました。
この3週間、3戦の後、
南アのファンは気分は最高だったに違いありません。
       
1995年、南アフリカで開催されたラグビーW杯。
「ラグビーで、この国を1つにしたい」  
その前年に南アフリカ史上初の全人種参加選挙で
ネルソン・マンデラ大統領の不撓不屈の思いを汲んで、
南アフリカチームは悲願の初優勝を果たしました。
 
その大会で、日本代表はニュージーランドに145点を取られ、
歴史的な大敗をしました。
28年前に比べると、日本代表は夢のように強くなりました。
2015年のW杯では、南アフリカに勝ちました。
しかし、オールブラックスには、
まだ一度も勝ったことがありません。 
 
4年後のW杯では、なんとか勝って欲しい!
 
できれば、1点差で。 

ブログ 2023/10/10

全国高校 軽音楽部大会 スニーカーエイジ 関東甲信越大会

高校生の軽音楽部(バンド)の大会
『スニーカーエイジ』の関東甲信越大会で、
審査員と表彰式のプレゼンテーターを務めました。 
   
関西では44年前から続いている
歴史のある大会です。 
女優の高畑充希さんも、この大会の出身者です。
   
コロナ明けの今年は、
3年ぶりに有観客での開催でした。

前夜は、ラグビー日本代表の試合を観て、
なんとも言えない重暗い気持ちになり、
朝起きても無気力だったのですが、
学生たちの純粋さと熱量に救われました。

全身全霊で楽器を演奏し、踊り、
魂を込めて歌う学生たちは、
とても眩しく、輝いていて、
何度か目から熱いものが
溢れ出そうになりました。

一方で、
審査の仕事と割り切って、
点数をつけることは難しく…    
苦しい1日でもありました。

苦しんだのは私だけではないはずで、
今年の結果を見ても明らかです。
評価する部分が異なる6名の審査員の合計点で、
4位と5位と6位の学校が同点で全国大会へ。
7位は1点差で涙を飲むという僅差でした。
 
学生たちは、
青春時代に音楽に出会えて、
打ち込めるものに出会えて、
本当に良かった。

音楽の力は、偉大です。
落ち込んでいる時には、
楽しい気分にしてくれて、
悲しい時には、癒してくれます。
絶望の淵に追いやられた時には、
心に火をつけてくれます。

音楽の素晴らしさに浸れた
魂の浄化ができた1日でした。

今回の出場者の中で、
将来、音楽で食べていける人は
ほとんどいないでしょう。

でも、彼らが音楽に出会えて、
生きる力をもらったように、
いつしか彼らが、
“誰かの音楽になれる人” であって欲しい。

高校野球の甲子園、
サッカーの国立、
ラグビーの花園のように、
軽音楽部の全国大会が
3年前から開催されています。

野球部、サッカー部に次いで
部員数が多い部活なのに、
残念ながら、
全国大会の冠スポンサーになってくれる
企業が見つかっていません。

12月26日の全国大会に、
心意気のあるスポンサーがついて頂けること、
未来を奏でる大会が成功することを、
心から祈っています!

ブログ 2023/08/11

チョコザップ新CM

チョコザップの新CMが
7月からオンエア開始しています。
 
「2年前の競合プレゼンでの
 提案が面白かった」
ということで、
広告会社を経由せずに、
直接、スポンサーから
声を掛けてもらいました。
(その割には、今回も競合でした) 
 
これまでのスポーツジムは、
 
「着替えを持って行き、
 少なくとも1時間は滞在する。
 でないと会費がもったいない所」
 
でしたが、 
チョコザップは、 
 
「5分の運動でも効果はあるから、
 空き時間で気軽に使えるように、
 そのままの服装で着替えずに、
 来てすぐに筋トレができる所」 
 
という目から鱗の発想で、
都市部を中心に破竹の勢いで
全国に店舗網を広げています。

しかも、エステ機器、
脱毛機器も使えて、 
月額2,980円(税別)で、
全国どの店舗でも使い放題。

チョコザップの社長さんが福岡県人で
同郷ということもあり、
いつにも増して、
「この仕事を成功させたい」
という想いが湧き上がったので、  
制作陣の大半を福岡県人でかためました。

撮影開始前に
全制作スタッフを集めてもらい.、
「発注主の社長さんが福岡県人で、
 企画コピーを考えた私も福岡県人。
 福岡県人の制作の皆さん、
 力を貸してください!」
と挨拶して、鼓舞しました。

なぜなら、
3日間のオールロケで、
13タイプの制作という
かなり厳しい撮影条件だったから。
プロデューサーは
埼玉県人だったから。

そして、
さすがは同郷もんへの想いが熱い
福岡県人たち。
連日、早朝から夜中まで、 
祭りの前の興奮状態で
働きまくってくれました。 
 
早朝から深夜までの3日間、
そんな同郷人愛に触れていたら、 
学生時代の記憶が蘇りました。
 
当時、実家の家業が傾いて、
2つの奨学金とアルバイトのはしごで
生活費を捻出する生活でした。
ある日、ご飯を食べに入った店で、 
見ず知らずの肉体労働者のおじさんに
「福岡の人間か?
 オレもたい。 
 奢っちゃろう」
と、ご馳走してもらいました。

県外で生活する福岡県人同士には、
理屈を超えた絆とか
親戚みたいな感情があります。

そんな同郷人愛の作用もあってか、
CMの反応は過去最高とのこと!
この企画に命を与え、
成功させてくれた制作陣、俳優陣に感謝。  

ブログ 2023/08/09

語り継ぐ日

78年前の8月9日11時02分、
長崎に原子爆弾が投下されました。 
第一目標の小倉で3度失敗して、
第二目標の長崎になりました。
  
長崎市の人口24万人の内、
7万4千人が
亡くなったとされています。
 
小倉へ落とされていたら、
私の人生は無かったかもしれません。

人間が人間に行った
この愚かな行いの悲惨さ、恐ろしさを
肉声で語り継げる方々が
極めて少なくなっています。
遠くない将来、ゼロになるでしょう。

沖縄ひめゆり平和記念資料館でも
元ひめゆり学徒の方による
語りの時間が無くなりました。

風化させないためには、
それを聴いた者が語り継ぎ、
核兵器がある限り、
今も起こり得ることと恐れ、
怒りを持ち続ける以外の道はありません。
 
先月、弊社の面接で30代の方に、
「8月6日が何の日か」を訊いたら、
「フジテレビの日です」との答えが…
原爆への恐れと怒りは、
もう風化していると実感。

17では、毎年、6日と9日は、
先の戦争と原子爆弾ついて、
仕事仲間と語ることにしています。     
     
少なくとも我々が生きている間は、
同じ愚行が繰り返されないように、
勉強して、語り継いでいきたいと思います。
 
できるなら、毎年、この2日間は、
日本人が米国の子供たちに
原爆の悲惨さを教え続けるのが、
一番、抑止効果が高いと思います。

下表は、長崎原爆の爆心地からの
距離での爆風値です。
今、北上中の大型の台風7号の
最大瞬間風速が40m。

原爆は1.8km離れていても風速72m…
弊社のある麻布十番から
新橋駅周辺まで離れていても
人間は吹き飛ばされます。
その衝撃の想像すると怖くなります。 

ブログ 2023/07/01

皆さんのお力で、この犯人を捕まえてください!

昨年6月29日、大分県別府市で、
死亡ひき逃げ事件が起きました。

赤信号で停止中だったバイクとスクーターの後ろから、
軽乗用車が時速100km近いスピードで
ノーブレーキで突っ込み、
バイクは50m程飛ばされ、
スクーターに乗っていた大学生は即死でした。
 
被害者は、知人のご子息でした。

一緒にひき逃げをされて
負傷で済んだ友人の証言によると、
その前に立ち寄ったショッピング施設の駐車場で、
被害者は、容疑者から「何見てんだ」というような
言いがかりをつけられていたと。
この友人が「放っておいて行こうぜ」と促し、
駐車場を後にした。
その数百メートル先で信号停止をしていた所に、
容疑者の車がノーブレーキで突っ込んで来たと。

この証言をもとに、遺族は別府署に
「故意の殺人事件じゃないですか」と
何度も訴えましたが、
別府署の交通課からは、
「容疑者から事情を聞くまでは、
 故意かどうか分からないから、
 殺人事件ではなく、交通課で交通事故として対応する」
とツレない対応をされ続けました。
 
遺族は「絶対に犯人を逮捕したい」との思いから、
イラストレータやフォトショップを習い始め、
自力でポスターやWEBサイトを制作しました。 
   
遺族が何度も
「交通事故じゃなく、殺人事件として捜査して欲しい」
「自主制作のポスターを街中に貼って欲しい」と
お願いに行っても、別府署は人手不足を言い訳に、
別府市内に1ヶ月で2枚を貼っただけ。
重い腰を上げてはくれませんでした。
(批判ではなく、事実を書いています) 
 
そして、私のところへ相談がありました。   
伝手のあった警察庁の上級官僚、
霞ヶ関の上級官僚の方などに相談をして、
頂いたアドバイスをもとに、
遺族と話し合って私的懸賞金を掛けることにして、
そのポスター制作のお手伝いをしました。
 
懸賞金を払うのは遺族なのに、 
当初、別府署は懸賞金に難色を示していました。
何度かの懇願の後、載せて良い文言について、
別府署とのやり取りがあり、ポスターが完成。
 
遺族が別府署にそのポスターを持参して、
「全国に指名手配されたのなら、
 各都道府県警に貼ってくれるようにお願いしてください!」
と頼んだところ、
「わかりました。じゃあ、ポスター46枚をください」
と返答がありました。
たった1枚のポスターを
各都道府県警の本部へ郵送すると言ったのです。
(批判ではなく、事実を書いています)

別府署の心のない発言や対応の数々が、
遺族の心の傷に塩を塗り続けていたことは、
外から見ていても明らかで、
遺族の疲労困憊ぶりに胸が痛みました。
 
「別府署にもメールはあるでしょ?
 PDFで送るから、全国の警察にメールで展開して欲しい」
と頼み込みました。
      
その後、遺族と支援する会が地道にSNSでの配信を続けていたら、
元リーゼント刑事の秋山氏らの目に留まり、
事件発生から10ヶ月後の今年4月、
ABEMA TVの千原ジュニアのニュースショーで取り上げられました。
 
その後も、同番組で追加情報が何度か取り上げられ、
視聴者からの反響が大きかったおかげで、
ついに大分県警も動き、
6月29日のNHKニュース9の全国放送で、
この事件のことが取り上げられました。
 
「大分県警では最重要未解決事件として、
 捜査一課の捜査員も加わり、
 2万2千人体制で県下でポスターを配りました」
  
おいおい…1年経ってるよ!
もう別府にも、大分にもいないでしょ!?