ブログ 2024/04/15

ブレーン5月号にインタビュー掲載

「長く愛される秘訣は?」
  
いつも相手のことを最優先にして、
無償の愛を注ぐこと。
それでいて、見返りを求めず、
いつも優しく、微笑んでいること。

みたいなことは、
頭では分かっていても、
煩悩がある人間が実践することは
不可能に近い…
 
そんな難題がテーマのインタビューを受けました。 
  
きっかけは、編集者が、
亀がただ歩いているだけのCMを見たからだと。

そのCMには、   
1970年の発表から53年が経つ
サイモン&ガーファンクルの名曲
『明日に架ける橋』が使われています。

日本の広告史上、初めてのことです。
これまで、一度も許諾がおりなかったのです。

不朽の名曲なので、53年の間に、
多くの日本企業が何百回と問い合わせをして、
私自身も何度か問い合わせをした経験がありますが、
すべて、日本側の窓口で即却下でした。 
   
今回、企画をしている時に、ふと、
「今ならイケる!許可が出る!」と
確信に近い閃きがありました。
(こういうのを天啓というのでしょうか…)
  
過去の経験値から
CM音楽制作会社のプロデューサーの慶之助さんは
当初、「無理ですよ」と条件反射で回答。

途中経過報告の
「米国に訊いてみるとのことでした」から、
「イケるかもしれませんよ!」
の報せに変わった時は、
彼も明らかに興奮していました。 
   
「『かも』とは、どういうことですか?」
「米国SONYが承諾したんです! あとは、本人です!」
「本人って?」
「ポール・サイモンです」

それから連絡が途絶えて2週間以上が過ぎ、
やっぱり今度もNGか…と諦めかけた時、  
「許諾がおりました!」
電話の向こうで、慶之助さんは号泣していました。
(私にはそんな声に聴こえました) 

「ヤッターッ!」
ガッツポーズと共に立ち上がった私に
ふと不安が過りました。

本当に、「日本初」なのだろうか…
 
JASRACでは、
記録が残っている25年くらいしか分からず、
残りの期間は、出版権を持っていた会社に、
直接訊くしかありません。
    
SONYの前は、
2つの会社が権利を持っていました。
30年以上前になると、普通の会社にはPCがありません。
データベースでは遡れないので、
当時、そこで働いていたベテランの方に訊いてもらって、
「広告での使用許諾がおりた記憶はない」
「CMで使われた記憶がない」
という回答を得られました。 
    
弊社の名前は「17」です。
IHIの創業170年記念のCMです。
この曲が生まれた1970年。
私も生まれたのも1970年。
ただの偶然と言えば偶然ですが、
その時、何かがつながった
という感を抱かずにはいらません。
    
なぜ、ポール・サイモンは
53年で初めてOKを出したのか…
米国SONYに訊いても、
「理由はわからない…」との回答でした。    
   
先日、岸田総理が招かれた
ホワイトハウスの公式晩餐会で
ポール・サイモンが歌いました。
サイモン&ガーファンクルが好きだという
岸田総理に得意の英語で、
初めて許可した理由を訊いてもらいたかった…

ブログ 2024/04/03

chocoZAPは、どこへ行こうとしているのか?

「本当に!?」
オリエンで、思わず声が出ました。
  
この10年くらいのオリエンで、
驚くことが書かれた資料を見たことがありません。
企業が調査を軸に置いた
データマーケティングをするようになって、
どんな優れたデータも過去の代物ゆえに、
生活者が想像もしないことを導き出すことが難しく、
いや、不可能になっているからです。 
  
「コンビニジム」と銘打って登場したchocoZAPは、
昨年、「すきま時間ジム」と再定義をして、
日経のヒット番付2位になる大成功を収めました。
  
その勢いは止まるところを知らず、
今春から、
無料コインランドリー、カラオケ、ビリヤード、
セルフフォトなどの新サービスが使える店舗が登場しました。
 
社長様に
「今までにこの世になかったサービスの再定義」
を求められ、
全国1,300店舗以上にある
ジム以外のいろいろなサービスも
すべて追加料金なしで使える
2,980円(税別)の価値を見直し、
月額料金を「スマートプライス」と定義しました。

そして、ジムでありながら、ジムの枠を超えて、
生活インフラになろうとしている
chocoZAPを「スマートライフジム」と
定義し直しました。
   
お仕事をしている広告会社のECDの方が
「チョコザップに行き始めてから、8キロ痩せたんだよ!」
と喜んでおられました。 
運動習慣って大事です。

どこまで行くのか、チョコザップ!
データや常識を超えた驚きの展開をしていく。
世界初と言っても良い
全く新しいサービスの広告を担当できる僥倖に感謝。
   
企画に命を吹き込んでくれた制作陣、俳優陣に感謝。 

ブログ 2023/12/25

涙腺崩壊の五木ひろしXmasディナーショー

線虫N-NOSEでお仕事をした
五木ひろしさんの
Xmasディナーショーへ
招待して頂きました。

仕事上の役得的なことは
書かないようにしているのですが、
舞台やショーを観て、
人生で一番感動した経験だったので、
記録として残すことにしました。


Xmasディナーショーですから、
Xmasソングで始まるのだろうと
予想はしていましたが、
そのオープニング。

大スクリーンに
坂本龍一の遺影が現れ、
「戦場のメリークリスマス」
をバンドが生演奏。
曲が終わる頃に、
五木さんが登場し、
胸に手を当て、
その遺影に向かって
お辞儀をしました。
 
その後、今年96歳で亡くなった
トニー・ベネットへの思いを語りながら、
国内外の定番のXmasソングを
2曲歌いました。

今、
世界では6つの戦争が起きています。
内戦や紛争を含むと、
世界196カ国の中、
40カ国以上が争いの中にいます。
 
「戦場のメリークリスマス」の後に
温かい気持ちになる
クリスマスソングを聴き、
平和の有り難さ、
今日生きていられること、
ディナーショーという場所にいられる幸せ、
その感動が胸に迫ってきました。

五木さんが次に歌ったのが、
KANの「愛は勝つ」。 
そして、
大橋純子の「シルエットロマンス」。
さらに、もんた&ブラザーズの
「ダンシングオールナイト」。
今年亡くなった歌手を追悼しているのです。
 
歌の合間のバンド演奏中や
歌い終わると、
その人たちの遺影に向かって、
五木さんが胸に手を当て、
心を込めてお辞儀をされる姿を見て、
涙腺が崩壊しかけていたところに、
谷村新司の遺影が出てきて、
「昴-すばる-」を五木ビブラ〜トで
(勝手に名付け、すみません)熱唱。

完全に涙腺崩壊。
昴の歌詞にもありますが、
何も見えなくなりました。

それにしても、
ショーが始まってしばらくの間、
まだ1曲も自分の歌を歌っていない。 
なのに、すでに、この満足度。

もしかして、
自分の歌は歌わないディナーショー
なのかと思っていたら、
いきなり五木さん最大のヒット曲
「おまえとふたり」を歌い出し、
キターッ!と感激していたら、
ステージから降りて、2曲目は、
会場中央に設けられた
出島のようなステージに移動。
私が一番好きな歌
「倖せさがして」を歌い出しました。
 
運良く、私の席は出島のすぐ横で、
五木さんの生歌を聴きながら、 
苦しかった自分の学生時代のこと、
五木さんの大ファンだった
亡き伯母と亡き父のこと、
バイトを辞めて社会人になった後も
ずっと交流があった
スナックの亡き英子ママのことが
自然と思い出されて、
また涙腺崩壊。

このまま永遠に聴いていたかった
「倖せさがして」が終わり、
五木さんが舞台の上でトークを始めました。
 
すると、
♪は〜じめま〜して 線虫です♪
とCMの曲を口ずさんでくれて、
 
「線虫N-NOSEのCMの総責任者が、
 大学時代、成績が悪かったのに、
 この歌の歌詞をそのまま英訳して、
 レポートで提出したら、
 最高点を取ったらしいんですよ」
 
と、CM撮影の1週間前に
ご挨拶に伺った事務所で話した
私の学生時代のエピソードに
触れてくれました。
なんという幸せ…

ブログ 2023/12/16

紅白歌合戦50回連続出場 五木ひろしさんが独唱する線虫N-NOSEの歌

生涯独り身だった私の伯母が
「この人の歌には艶がある」と
唯一絶賛していたのが、五木さんでした。

また、私の亡き父は歌が上手く、
五木さんの曲をカーステレオで聞いては、
カラオケで歌っていました。  

そして、家業が傾いて
苦学生になった私は、
生活費を稼ぐために、
夜は女性が接客をするスナックで
バーテンのアルバイトをしており、
時々、お客さんの要請で歌っていました。

ホステスさんと同じく、
指名料と歌唱料が店に入るからと
ママからは「積極的に歌ってね」と言われて、
渋々歌っていました。

子供の頃にリピートで聞かされていたおかげで、
五木さんの歌は空でも歌えるようになっていて、
「若いのに、そんな歌をよく知ってるな」と
お客さんに褒められました。
歌う曲は、五木さんを筆頭に、
北島三郎さん、鳥羽一郎さんでした。

ある時、大学の英語の授業で、
「英語で恋愛の詩を書く」課題が出ました。
私は、五木さんの曲で一番好きな
「倖せさがして」をそのまま訳して提出。 
女性のカサネイブ先生から
「感動したわ、素晴らしい!」とコメント付きで、
一番評価の良い「S」をもらいました。 
当時は胸が痛みましたが、
今となっては良い想い出です。

自分の中ではそれくらい、
五木さんとの縁があり、
今回のCM企画への出演を快諾して頂いた時には、
本当にうれしかった!

企画説明で五木さんの事務所で
ご本人に対面した時は、
「伯母さん、親父が生きていたら、
 さぞかし喜んでくれただろうな…」と
感慨深いものがありました。

五木さんは、芸名を4回変えるなど、
売れるまでは大変な苦労をされました。 
山口洋子さん作詞の名詞だけを連ねる画期的な名曲
「よこはま・たそがれ」が大ヒットして、
スターの階段を駆け上がります。
そして、紅白歌合戦には、
前人未到の50回連続で出場されています。

見方を変えると、
父親としての五木さんは、
50年間、大晦日には、
家にいなかったということです。  

さらに、その昔、
このCMの制作プロデューサーの父上が
祐天寺で床屋をされていた時に、
まだ売れていない頃の五木さんの髪を
カットしていたという新たな縁も見つかりました。  
  
五木さんの曲を愛聴していた親の息子が企画をし、
五木さんの長髪を切っていた親の息子が制作をしたのです。 

点は、いつか線になる。
いろんな縁に感謝する仕事でした。