ブログ 2024/07/14

東芝ブレイブルーパス優勝報告ポスター

10年に1度あるかないかの大接戦、
ラグビー史に残る好ゲームを制して 
古豪で、名門である東芝ブレイブルーパスが
14シーズンぶりに日本一を奪還。

ファン、協賛企業、地元の皆様へ向けた
優勝報告ポスターを制作しました。 

日本代表主将のリーチ マイケルをはじめ、
現役選手は誰一人、日本一を経験したことがなく、
リーグ戦とは全く違う重圧のかかる一発勝負の決勝戦で、
どうして勝てたのか。

選手とコーチ陣が、
この数年間に積み上げてきたことが
結実しつつあったところに、
オールブラックスのモウンガとフリゼルが加入して、
大きな化学反応が起きたこと。
勢いもあったというのが、勝因だと思います。

一方で、            
「日本一になる夢を何度も見た」という社長の荒岡さん、
シーズン中盤の段階で
「今年のチームは決勝まで行けたら勝てる」と予言していた
ゼネラルマネジャーの薫田さん、
運営側にも本気で戦っていた人たちがいて、
その執念が結実したと思います。 

過去の点が線となって、
復活のお手伝いをさせてもらえたご縁と、
この2年間、多くの仕事仲間に助けてもらったこと、
日本一になった瞬間に立ち会えたことに感謝。

ブログ 2024/07/11

ラグビー日本代表 最多キャップの大野均さんご出演 線虫エヌノーズCM

昔、ラインアウトでのジャンプが
リフトアップに変わった時のように、
この日、大野さんの演技力は、
飛躍的に変化しました。

『線虫N-NOSE(エヌノーズ)』のCMに
元ラグビー日本代表で
最多キャップ数(国際試合出場数)98を誇る
大野均さんに出演していただきました。

2015年W杯で南アフリカを撃破して、
「スポーツ史上最大の番狂せ」とか
「幼稚園の女児が和田アキコに勝った」と
言われるほどの奇跡を現実にした
ラグビー界の生きるレジェンドです。

映像で演技をするのは初めてとのこと。
最初、セリフは棒読みでしたが、
演出家からのアドバイスを受けて、
それらをスポンジのように吸収していき、
表情もどんどん柔らかになり、
OKテイクでは夫役を自然に演じてくれました。
おかげで、短い尺数にインパクトが出ました。  

さて、「がんの早期発見」を可能にするのは、
まだ、何の症状も出ていない時に、
早期に検査をすることが必要です。
現代医療では、すべての検査で精度は100%ではありません。
特に、早期がんの発見となると、
これまでは、かなり難しいのが現実でした。

『線虫N-NOSE(エヌノーズ)』は、
世界初の生物診断で、その可能性を大幅に引き上げました。
世界で特許も取っています。

毎年の人間ドッグでオールAだった私の義父は、
翌年、がんがステージ4で見つかり、余命1年でした。

症状が出てからでは、手遅れになります。
自宅から尿を送るだけで簡単に調べられますので、
これを読んでいただいた方は、
無症状の内に、ぜひ、検査をしてください!

企画に命を吹き込んでくれた制作陣、俳優陣に感謝。

CM視聴はこちらから↓

ブログ 2024/04/28

今シーズン最後のホストゲーム

勝った翌朝は、なぜか目覚めが良い! 
そして、なによりご機嫌である!
と自分で実感できます。

これまでの人生で、どこかのチームに入れ込む「熱狂的なファン」になったことがなく、
頭では、そのようなファン心理をわかっているつもりでしたが、
実際になってみると、たくさんの発見と驚きがあり、苦悩もあります。 

昨シーズンからクリエイティブディレクターとして
チームのブランディングのお手伝いや、
ホストゲームの演出を担当している
東芝ブレイブルーパスが、今シーズンのホストゲーム最終戦でした。

解体されるラグビーの聖地、
秩父宮ラグビー場での最後のホストゲームでもありました。 
 
選手としては、一度も立てなかった秩父宮のグラウンドに、
長い時を経て、何度も仕事で立つようになるとは、
ラグビーの神様がくれたご褒美の仕事であり、
新たな試練でもあると感謝しています。

午前中は降っていた小雨もあがり、
正午にキックオフの 
府中ダービー(港区では港区ダービーと呼ばれている)。
毎回、盛り上がる試合で、
リーグワンになってからは、
サントリー3勝、東芝2勝で、
ホストゲーム最終戦ですから、
何としても勝ちたい試合でした。 

今シーズン、オールブラックスのスタンドオフ
リッチー・モウンガの加入で
出場機会がなかった中尾隼太選手が、
プレイヤー・オブ・ザ・マッチに選ばれる大活躍。
試合に出られなくても腐らず、
万全の準備を続けておく大切さを教えてくれました。

試合当日は、100名以上のスタッフが早朝から設営をし、
リハーサルをして、お客さんを迎え入れます。
冬場は辛いです。 

ブログ 2024/04/15

ブレーン5月号にインタビュー掲載

「長く愛される秘訣は?」
  
いつも相手のことを最優先にして、
無償の愛を注ぐこと。
それでいて、見返りを求めず、
いつも優しく、微笑んでいること。

みたいなことは、
頭では分かっていても、
煩悩がある人間が実践することは
不可能に近い…
 
そんな難題がテーマのインタビューを受けました。 
  
きっかけは、編集者が、
亀がただ歩いているだけのCMを見たからだと。

そのCMには、   
1970年の発表から53年が経つ
サイモン&ガーファンクルの名曲
『明日に架ける橋』が使われています。

日本の広告史上、初めてのことです。
これまで、一度も許諾がおりなかったのです。

不朽の名曲なので、53年の間に、
多くの日本企業が何百回と問い合わせをして、
私自身も何度か問い合わせをした経験がありますが、
すべて、日本側の窓口で即却下でした。 
   
今回、企画をしている時に、ふと、
「今ならイケる!許可が出る!」と
確信に近い閃きがありました。
(こういうのを天啓というのでしょうか…)
  
過去の経験値から
CM音楽制作会社のプロデューサーの慶之助さんは
当初、「無理ですよ」と条件反射で回答。

途中経過報告の
「米国に訊いてみるとのことでした」から、
「イケるかもしれませんよ!」
の報せに変わった時は、
彼も明らかに興奮していました。 
   
「『かも』とは、どういうことですか?」
「米国SONYが承諾したんです! あとは、本人です!」
「本人って?」
「ポール・サイモンです」

それから連絡が途絶えて2週間以上が過ぎ、
やっぱり今度もNGか…と諦めかけた時、  
「許諾がおりました!」
電話の向こうで、慶之助さんは号泣していました。
(私にはそんな声に聴こえました) 

「ヤッターッ!」
ガッツポーズと共に立ち上がった私に
ふと不安が過りました。

本当に、「日本初」なのだろうか…
 
JASRACでは、
記録が残っている25年くらいしか分からず、
残りの期間は、出版権を持っていた会社に、
直接訊くしかありません。
    
SONYの前は、
2つの会社が権利を持っていました。
30年以上前になると、普通の会社にはPCがありません。
データベースでは遡れないので、
当時、そこで働いていたベテランの方に訊いてもらって、
「広告での使用許諾がおりた記憶はない」
「CMで使われた記憶がない」
という回答を得られました。 
    
弊社の名前は「17」です。
IHIの創業170年記念のCMです。
この曲が生まれた1970年。
私も生まれたのも1970年。
ただの偶然と言えば偶然ですが、
その時、何かがつながった
という感を抱かずにはいらません。
    
なぜ、ポール・サイモンは
53年で初めてOKを出したのか…
米国SONYに訊いても、
「理由はわからない…」との回答でした。    
   
先日、岸田総理が招かれた
ホワイトハウスの公式晩餐会で
ポール・サイモンが歌いました。
サイモン&ガーファンクルが好きだという
岸田総理に得意の英語で、
初めて許可した理由を訊いてもらいたかった…