ブログ 2023/12/16

紅白歌合戦50回連続出場 五木ひろしさんが独唱する線虫N-NOSEの歌

生涯独り身だった私の伯母が
「この人の歌には艶がある」と
唯一絶賛していたのが、五木さんでした。

また、私の亡き父は歌が上手く、
五木さんの曲をカーステレオで聞いては、
カラオケで歌っていました。  

そして、家業が傾いて
苦学生になった私は、
生活費を稼ぐために、
夜は女性が接客をするスナックで
バーテンのアルバイトをしており、
時々、お客さんの要請で歌っていました。

ホステスさんと同じく、
指名料と歌唱料が店に入るからと
ママからは「積極的に歌ってね」と言われて、
渋々歌っていました。

子供の頃にリピートで聞かされていたおかげで、
五木さんの歌は空でも歌えるようになっていて、
「若いのに、そんな歌をよく知ってるな」と
お客さんに褒められました。
歌う曲は、五木さんを筆頭に、
北島三郎さん、鳥羽一郎さんでした。

ある時、大学の英語の授業で、
「英語で恋愛の詩を書く」課題が出ました。
私は、五木さんの曲で一番好きな
「倖せさがして」をそのまま訳して提出。 
女性のカサネイブ先生から
「感動したわ、素晴らしい!」とコメント付きで、
一番評価の良い「S」をもらいました。 
当時は胸が痛みましたが、
今となっては良い想い出です。

自分の中ではそれくらい、
五木さんとの縁があり、
今回のCM企画への出演を快諾して頂いた時には、
本当にうれしかった!

企画説明で五木さんの事務所で
ご本人に対面した時は、
「伯母さん、親父が生きていたら、
 さぞかし喜んでくれただろうな…」と
感慨深いものがありました。

五木さんは、芸名を4回変えるなど、
売れるまでは大変な苦労をされました。 
山口洋子さん作詞の名詞だけを連ねる画期的な名曲
「よこはま・たそがれ」が大ヒットして、
スターの階段を駆け上がります。
そして、紅白歌合戦には、
前人未到の50回連続で出場されています。

見方を変えると、
父親としての五木さんは、
50年間、大晦日には、
家にいなかったということです。  

さらに、その昔、
このCMの制作プロデューサーの父上が
祐天寺で床屋をされていた時に、
まだ売れていない頃の五木さんの髪を
カットしていたという新たな縁も見つかりました。  
  
五木さんの曲を愛聴していた親の息子が企画をし、
五木さんの長髪を切っていた親の息子が制作をしたのです。 

点は、いつか線になる。
いろんな縁に感謝する仕事でした。

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