PROFILE

事業所名
株式会社 17
(ジュウナナ)
代表取締役
松尾 卓哉
設立
2010年11月17日
TEL
03-6441-2617
所在地
〒106-0045
東京都港区麻布十番
1-2-3 プラスアストル 7F
業務内容
広告企画制作、
パッケージデザイン、
商品開発、
コンサルタント、
作詞、脚本、講演会など

CEO / CREATE DIRECTOR

松尾 卓哉TAKUYA MATSUO

Founder/Creative Director/
CM Planner/Copy Writer

経歴
  • 電通 / CMプランナー、CD →「クリエイティブは、目立ってなんぼ」
  • 世界TOPクラスの広告会社 Ogilvy(JAPAN)/ CD、ECD → 「We sell,or else(広告は売ってなんぼ)」
  • Ogilvy Asia Pacific(アジア太平洋地区のオフィスを統括)/ Regional Creative Partner →
    「世界で愛されるブランド表現をつくる」
  • 2010年 17(ジュウナナ)設立 →「経営者の視点で、数字に責任を持ち、最適解を出す」

4つをハイブリッドした独自のクリエイティブメソッドを使います。

AWARD

2003
カンヌ国際広告祭で受賞
(日本から2本中の1本)
2004
カンヌ国際広告祭で受賞
(日本から唯一)
2009
クリオ国際広告賞でアジアから唯一の金賞受賞。
(日本から12年ぶり)
2009
カンヌ国際広告祭で受賞
(日本から2本中の1本)
世界的広告賞 フィルム部門
カンヌ国際広告賞
(シルバー、ブロンズ×2回)
クリオ 金賞、銀賞、銅賞
ONE SHOW 受賞
ロンドン国際広告祭 銅賞
メディア・スパイクス 金賞、銀賞、銅賞
アドフェスト 金賞、銀賞、銅賞 
三大陸THE CUP最優秀賞 etc
国内広告賞 新聞/ラジオ/
インタラクティブ部門
ACC(金、銀、銅)
TCC賞
広告電通賞(部門最優秀賞)
日本新聞協会・新聞広告優秀賞
文化庁メディア芸術祭
ニッポン放送ラジオCMグランプリ優秀賞
東京インタラクティブアワード 
カンヌ国際広告賞 入賞 etc.
その他の実績
日本生命をCM DATABANK 年間イメージ躍進企業1位に
佐賀県庁広報アドバイザー
日本赤十字社献血69回(表彰2回)
2014年8月のCM DATABANK好感度1位2位を独占
日本ネーミング協会理事
Forbes JAPANオフィシャルコラムニスト
慶應義塾大学 特別招聘教授
メセナアワード選考委員

CLIENTS

社名の由来

社名を「17(ジュウナナ)」にした、
導かれた理由はいくつかあります。

1:代表の私が9月17日生まれ。
私の親族、知人に17日生まれが複数名いて、
師匠である小田桐 昭さんも11月17日生まれ。

2:17という数字を意識した時、
ふと、「17歳の自分」が蘇りました。
17歳は大人ではありませんが、
もう子供でもありません。
その頃は、きちんとした人間になって、
世の中の役に立つ仕事をしたいという
理想や正義心がありました。

マス広告の仕事は、
企業が投資した大金が短期間で、
メディア会社、広告会社、制作会社、
キャスティング会社などの間で動きます。
だから、クリエイティブ表現に対して、
いろいろな立場の人の思惑が入り乱れ、
企画者の思い通りにならないことがほとんどで、
若い頃は苦しみますが、経験を重ねることで、
その仕組みや理不尽さに慣れていきます。

しかし、どんな仕事でもそうですが、
「慣れ」は、怠惰と腐敗を生みます。
そして、それを続けていると、
自分が自分でなくなっていきます。

17歳の頃によく聴いていた
尾崎豊の「17歳の地図」の中に、
次の歌詞があり、共感していました。
「すみからすみ這いつくばり 強く生きなきゃ」
「心をいつでも輝かしてなくちゃならない」
「どんな生き方になるにしても 自分を捨てやしない」
今でも共感します。

だから、名刺交換をする時に毎回、
「17の松尾です」と言葉に出すことで、
「17歳の自分」が出てくる装置にしようと思いました。
慣れを出さないように。
仕事に対する理想や正義心を忘れないように。

3:17は、素数です。1と自分自身以外では割り切れません。
広告の仕事では、割り切れない思いを抱えることも多いので、
17は、「自分が解決する」という覚悟、
当事者意識を持ち続けるための数字だと捉えています。

4:マス広告キャンペーンにおけるクリエイティブの仕事は、
その表現が「台風の目」となって、
担当する商品やサービスの認知、売上に向かって、
全国で大きな風を巻き起こす仕事です。
そして、風速17m以上が台風と呼ばれます。
17が、「台風の目をつくる仕事」と自覚させてくれます。

5:私が敬愛する野茂英雄さん。
1995年、日本のマスコミに酷評されながら米国へ渡り、
日本人でもメジャーリーグで成功できると証明した初めての人であり、
当時、ストで人気が低迷していたメジャーリーグを救った偉大な投手です。
その野茂投手が、1,600mの高地に位置するため、打球が良く飛び、
打者が有利とされるクアーズ・フィールドで、
大リーグ史上初めてノーヒット・ノーランを達成したのは、9月17日。
雨で試合開始が2時間遅れ、気温は8度で、投手にはさらに不利な状況でした。
そして、この球場では、いまだに誰も達成していません。
17という数字が、ピンチの時はチャンスでもあると教えてくれます。

6:私は、学生時代にラグビーに熱中し、真剣に取り組みました。
そのことで、基礎体力がつき、精神面も鍛えられ、
社会に出て生きる上での大切なことをたくさん教えてもらいました。
1995年、ラグビーW杯南アフリカ大会。
選手としては、遠く手の届かなかった日本代表。
雲の上の存在だった人たちが、オールブラックス(NZ代表)相手に
145点を取られ、歴史的な大敗を喫しました。
ものすごくショックでした。日本のラグビーに絶望しました。
しかし、日本代表は、あきらめませんでした。
どん底から復活し、20年後の2015年W杯イギリス大会では、
世界ランキング2位の南アフリカに勝ち、ブライトンの奇跡と呼ばれました。
その後のW杯日本大会では世界ランキング1位のアイルランドに勝ちました。
145点の惨敗した試合で、日本代表の得点が17でした。
17は、絶望の淵からでも復活できることを思い出させるのです。

以上のことなどが、社名を「17」へと導いたのです。