私たちが2回戦の体勢に入った時、
無線で呼んでいた応援の警官隊がやって来た。
今度はワゴン車で来た。
「すべての車両が出払っている」と言ったが、
やはり、車両はあったのだ。
新たに3名の警官が作戦に参加した。
溝女の捕獲には身体的危険を伴うことが分かったので、
社長は御役御免になり、発見係になった。
むしろ、適任だ。
毛布係は警官だけの3名体制になり、
盤石な網になった。
追いかけ船係は、私たち学生と警官が組む2チーム体制になった。
「いたぞっ!」
暗視スコープ社長が暗闇の中に見つけた。
またもや溝女は予期せぬところから現れた。
この住宅街には地下通路か何かがあるのではないか?
でないと、この神出鬼没ぶりは説明がつかない。
懐中電灯の光の中に、
ベージュのパンティーとブラだけの溝女が立っていた。
肩で息をしているのが分かった。
しかし、走り出すと速かった。
新米の追いかけ船が「うわっ、速っ!」と驚嘆の声をあげたくらいだ。
「全盛期はこんなもんじゃないよ」
と言いたい気持ちが込み上げた…。
江川卓が法政大学に入り、
バッターから次々と三振を取っていた。
しかし、その投球を見て、高校時代にバッテリーを組んでいた捕手が
「江川のストレートはこんなもんじゃない」
と言った気持ちがやっと分かった。
全盛期ではない溝女を、別チームが上手く追い込んだ。
スピードを緩めることなく、加速したまま溝女は毛布に突っ込んだ。
今度は逃げられない。
怒号とともに、毛布で巻かれはじめた。
「グルグル巻き大作戦」が成功したのだ。
溝女は猛烈な勢いで暴れはじめた。
ひとりの警官の顔面に肘パンチが当たった。
警官の眼鏡が吹っ飛んだ。
「キサマーッ!」
その警官は、毛布ごと溝女に足払いをかけながら、
顔面を強くプッシュした。
ゴン!
内臓に響くような鈍い音がした…。
溝女は後頭部からアスファルトに強烈に打ち付けられ、
ピクリとも動かなくなった…。
沈黙が流れた…。
誰もが、今、目の前で起きたことを整理していた。
そして、最悪の状態について考えていた。
溝女を投げつけた警官が落ちた眼鏡を慌ててかけて、
我々に早口でまくし立てた。
「見てましたよね?
今のは正当防衛の一種です。
彼女が先に襲ってきた…」
彼の眼鏡のフレームは大きく曲がり、
左目のレンズはヒビが入り、両目の間に位置し、
右目のレンズは右目の外に位置し、
もはや眼鏡としての役割を果たしていなかった。
眼鏡をかけたはずなのに見えないことに激しく動揺したのか、
彼は、何度も眼鏡をかけ直そうとした。
しかし、両方のレンズは両目の間と右目の外に位置した。
その顔で、我々に同意を求めてきた。
「証人になってくれますね?」
私たちは無言だった。無言でいるしかなかった。
何か一言でも発すると、笑いが爆発しそうだった。
チラッと友人の顔を見た。
目と口元がピクピクピクと小刻みに痙攣していた。
今思えば、2人ともよく耐えられたものだ。
今だったら、300%耐えられない。
間違いなく、涙を流して笑い転げるだろう。
「今のはマズイよね?」
社長が我々のそばに来て、耳打ちした。
別の警官が声をかけ続けていたが、
溝女はぐったりとしていた…。
今後起こりえることを想像してみた。
雨に湿った重たい夜の空気。
何かを覆い隠そうとしている重い沈黙。
この2つの、目に見えぬ黒い物体だけが、
その時、我々のリアルだった。
(つづく)